ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

あーしあん363

長野県山梨県3争いのない世界を、未来の担い手である子どもたちへ~パルシステムでは核兵器の廃絶に向けて声を上げています~ 戦争は私たちの暮らしを跡形もなく破壊します。中でも核兵器は、人類はもとより地球上に存在するすべての生命を断ち切り、自然環境を破壊します。私たちは、平和の享受を実感し日々の暮らしを営む立場から、核廃絶と全世界の平和の実現を強く訴えます。(パルシステム平和・核廃絶に向けたフォーラムでの協同アピールと緊急声明より)?旧陸軍歩兵連隊甲府49連隊跡 (赤レンガ館) 甲府連隊は日露戦争中に編成され、1909年この地に入営しました。二・二六事件に出動したり、日中侵略戦争参加のために満州へも出動しました。敗戦後は撤収され、他県の軍隊跡地と同じように文教地区となり様々な学校や、それに関わる施設が建設されました。現在残っているのは、糧秣庫(食糧庫)だった煉瓦造倉庫1棟のみです。 赤煉瓦壁やアーチ式の戸口・窓を持つ明治時代の珍しい洋風建築の建物として保存されています。現在は、山梨大学教育学部附属中学校の敷地内で、子どもたちのにぎやかな声に包まれながらも、確かにこの地にも軍隊があったということの教育的資料にもなっています。?岡おか谷や防ぼうくうかん空監視し哨しょう跡 塩尻峠の中間に位置し塩峰高原の頂上付近にある鉄製の櫓(現在は立ち入り禁止で登ることはできない)は太平洋戦争中に設置されました。諏訪湖が一望できるこの場所で、6年もの間、猛暑や極寒の中でもひと時も離れず24時間体制で、敵機の来襲に備えて監視にあたっていました。 任務にあたっていたのは、旧岡谷長地川岸湊の青年学校の選抜された生徒たち。現在で言うと中学生や高校生が不眠不休ともいえる努力をしなければいけなかった戦時中でした。岡谷市 甲府市?ロタコ(御みだい勅使河がわら原飛行場)跡3号掩えんたいごう体壕 アジア太平洋戦争末期、米軍の空襲などから軍事施設を守るための分散疎開が行われ、旧日本軍によって建設が計画された飛行場や横穴壕をはじめとする施設群の総称である「ロタコ」。秘匿飛行場であったことから暗号名だと言われています。 建設工事には、軍人、軍属に加え、釜無川(富士川)西岸地域一円から毎日約3000人もの住民と、旧制中学の学生や地域の小学生までもが動員されていました。戦争で男手がない中、各家庭や子どもたちには、大変な負担となりました。南アルプス市文化財に指定されている掩体壕(滑走路や飛行機を隠した施設)跡では、現在も基礎の土台の一部等、建物の痕跡を見ることが出来ます。南アルプス市?武蔵航空工場被爆受難者の碑 現在の竜ケ丘自治会館周辺に武蔵航空吉田工場がありました。この工場では、立川陸軍航空廠の管理下にあった中島飛行機武蔵製作所の下請けとして、工員と勤労動員の学徒約2000人が働き、戦闘機と迎撃機「銀河」の翼を生産したり、発動機の修理を行っていました。 1945年7月30日の吉田空襲では、生徒は避難して皆無事でしたが、工員は避難しなかったので犠牲者が出ました。この犠牲になった12人の方達のために受難碑は建立されました。参考文献・ 山梨の戦争遺跡(2000年)山梨県戦争遺跡ネットワーク(山梨日日新聞社)・ ロタコ(御勅使河原飛行場跡)(2011年)南アルプス市教育委員会富士吉田市掩体壕の復元想像図